50歳の同窓会(その1)

2016.09.20.16:52

台風がやってくるのを心配して待つぱぱみつです。
どうか被害が最小限でありますように。

今週末の日曜日は☆白星サイクリング ☆です。
参加申し込みは締め切らせていただきました。
参加される方はこちらをご覧ください → 貴光ブログ「白星サイクリングの予定です」


さて、今日はサイクルライフと全く関係のないブログです。
お暇があれば、読んでみてください。

この日曜日、初めての教え子たちの同窓会に行かせてもらいました。
ぱぱみつにとっては歴史的な一日なので、お客様には申し訳なかったのですが、臨時休業しての参加です。

大学を卒業後、すぐに小学校5年生の担任を仰せつかりました。
今から考えたら、とんでもない学級担任でした。
奈良県でも一番歴史のある第一小学校で、やる気に満ちた素晴らしいベテランの先生方ばかりの職場でした。

現在は、初任者研修が充実して、サポート体制も私が新卒の時とは比べ物にならないです。
当時は、つい3月までええかげんな学生だった超未熟者が、いきなり学級担任となりクラスを任されたわけです。
学習指導が十分にできるわけでもないうえに、授業を見て指導や批評をしていただく機会もそんなにありませんし、「学級経営」という大学でも学ぶことがなかった重要なことは全く分かりませんでした。

すべてが手探り状態で一時間一時間、一日一日進んでいきました。
もちろん「授業がすべてだ」と思っていましたから、「教材研究」を必死でやった「つもり」でしたし、休み時間には子ども達とドッジボールをしたり昔の遊びを教えたりして楽しく過ごしていました。

毎日欠かさず「日記」をつけさせて、それに赤ペンを入れて子ども達との個人的なコミュニケーションを取ろうと頑張っていた「つもり」でした。
また、学級通信を毎週発行して、子ども達の様子を保護者にお知らせして、親子のコミュニケーションの助けになればと続けました。

近鉄奈良駅のそばの学校でしたので、外国の方がのぞきに来られることもたびたびあり、教室に引きずり込んでお話してもらったり、あいさつの言葉を教えてもらったりして、国際理解教育のスタートらしきこともやった「つもり」でした。
また、理科の授業を英語の身振り手振りで行うなど、「英語イマージョン教育」らしきものをやってみるなど、我ながら結構先進的なこともやっていたんだと思い出しています。

基本は「ほめる」「認める」ということを中心に、笑顔があふれる教室にしたかったし、帰りの会では私が下手なギターを弾いて全員で歌を唄ってから一人ひとりと握手をして帰るようなことをしていたと記憶しています。

一方、「怒る」ことに関しては、それはそれはひどいものでした。
(教職最後の頃は、いつもニコニコで怒ることなどない辻先生でしたが、)新任時代は思い出すのも恥ずかしいぐらい「本気で」怒りまくりました。
今でしたら、きっと保護者や教育委員会などからクレームが来てしまうようなことも、少なくなかったと思います。

血気盛んな向こう見ずの若者(馬鹿者)というのがぴったりの、生意気な新任教員だったと思います。
それでも無事?2年間の担任を務めあげることができたのは、子ども達や同僚、保護者の皆様の支えがあったからだと思います。

ほめる時も怒るときも全力投球でした。
経験のない分、熱意、エネルギーで勝負するしか、子ども達に立ち向かえなかったんだと思います。


そんな無茶苦茶な新任教員時代に担任した子ども達が、今年で満50歳になります。
私と干支が同じ、一回り下の午年(未年)の子ども達です。

実は初めての教え子の一人、F君が昨年9月に病気で亡くなりました。
葬儀で久しぶりに会った教え子たちと、「来年一周忌を兼ねて、みんなで50歳の同窓会をやろう」ということになったのです。
(それで、仮に9月25日を同窓会予定日としたので、今年はHCRに参加しませんでした。)

その時に集まったメンバーが頑張って連絡を取り合ってくれて、学年合同での同窓会を開催する準備を進めてくれました。
何度も幹事が集まって打ち合わせをしてくれたので、私も数回参加させてもらいました。
担任当時は11歳と23歳でしたから、まさしく子どもと大人でしたが、今は50歳と62歳。
もちろん12歳差は不変ですが、混じってしまうと、「誰が生徒か先生か」の「めだかの学校」状態でした。

卒業して38年、全国に散らばっていた同学年の3分の一が集まることになったのです。


ここで、ちょっと寄り道です。

実は今から12年前、私が彼らと同じ50歳の時に、中高の同窓会に参加しました。
高校卒業以来初めて参加したので、32年ぶりに会う仲間も多かったのです。

その中での近況報告で、私の人生を変えることになった話がありました。

同じテニス部だったK君は商社マンとして大活躍していましたが、「現地の人から搾取して儲けていたのを悔いています。それで50歳を契機にフェアトレードの商社を立ち上げました」とのことでした。

また、女医さんだったHさんは、「私が本当にやりたかったことは、小説を書くことでした」と言って、自分で発行した本をもってきていました。

「60歳の定年まで勤めるのがあたりまえ」と思い込んでいましたが、彼らの話を聞いて「60歳でやめてから新しい仕事を始めるよりは、彼らみたいに思い立ったら進んでやってみても良いかな・・・」という気持ちが芽生えたのでした。


それから2年後の2007年8月2日、鈴鹿サーキットでのサイクルイベントの応援で、笑顔いっぱいで自転車で走っている参加者のみなさんを見ていたら、天の声が突然降ってきました。
「この楽しいサイクルライフを広めるのは今、あなたしかいないよ~」

帰宅して妻に恐る恐る言いました。
「小学校の先生をやめて、自転車屋始めても良い?」
それまで一度たりとも早期退職するとか、自転車屋をするなんてことは言ったことがありませんでした。

「なんかそんなこと言うような気がしてたよ。一生一度だから、やりたいことやってみたら」
と言ってくれたのでした。
感激!

それから1年余り、2008年9月3日にサイクルライフショップ白星をオープンさせることができました。

ハクセイハクセイ

教員は「天職」だと思っていたのですが、31年間の教員生活に別れを告げて、全く新しい世界に挑戦したのでした。
「50歳の同窓会」に参加していなかったら、おそらく定年退職するまで小学校教員だったことだろうと思います。
・・・・教え子の「50歳の同窓会」には、どんなお話をしようかなって結構悩みました。・・・・

≪つづく≫

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